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2009 08,02 11:34 |
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7月は、仕事上の試練が多く、体の疲労は蓄積されているのですが、仕事のことを考えると眠れない日があり、「できない自分」にまた落ち込む繰り返しでした。まだ4ヶ月目の自分ができなくて当たり前、よく頑張ってるじゃんともう一人の自分が励ましながらの一ヶ月でした。職場のコミュニケーション研修でカウンセラーの人が言っていましたが、「自分で自分をほめてあげるのが大事!」と。確かに、確かに。やることはやってるのだから、ほめてあげましょう。
それでも確かに、壁を乗り越えたなという実感もあり、微量ながら自信もつきました。よーし今月も頑張るぞ。 いろんなお客様を担当させていただいていますが、そのうちの何人かは、会うだけでパワーをもらえる方がいます。人生を教えられるなんていう簡単な言葉ではなく、わたしの命を、洗濯してくれるような。 そのうちの一人の方は、今101歳。大勢の人を幸せにされてきたのだろうなー。だから、今も家族みんながこの方を大切に介護されています。訪れるといつも、愛のエネルギーが満ちています。その方は、毎日短歌を作り続けていて、内容は家族のこと、四季の移り変わりのこと。決して大げさな内容ではないのです。生活の一瞬に、愛が隠れているのでしょう。 我が家は信濃毎日新聞ですが、毎日楽しみにしているコラムがあります。「けさの一句」といい、村上護さんという方が毎日俳句を一句評しています。短い文章の中に、とてつもない量の歴史や文化・生命のエッセンスが凝縮されていて、驚くばかりです。尊敬してやまない方です。 今朝の一句は「花火あがるどこか何かに応へゐて」 細見綾子作 花火は初期の俳諧では、秋の盆行事の一環で、大飢饉で餓死した人々の慰霊と悪霊退散のため、打ち上げるようにもなったそうです。松本の近隣でも、お盆に花火大会が集中し、灯篭流しとともに行われる地域もあります。ああ、そうか。慰霊のための行事と知ったら、いろんなことがすんなりと納得できます。 今日のタイトルは、101歳の方が短歌をつくり続ける気持ちを、息子さんが代弁された言葉です。 PR |
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2008 01,13 16:01 |
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以前紹介した詩人・石原吉郎氏の新聞記事の続きです。 昨年の連載は、「封印」というキーワードにより、シベリア抑留時代の記憶を封印して詩を発表していく戦後の生活が書かれていました。やがて、帰国から15年を経て、石原氏はシベリアの体験をエッセーで書き始めます。今年の連載は、「記憶」というキーワードにより、彼が何を体験し、どんな記憶を背負ったかをエッセーをもとに追っていく内容が始まりました。 今年のスタート記事に添えられていたのは、香月泰男の「シベリア・シリーズ」の絵です。 石原氏を知る前は、シベリアといえば香月氏がすぐに思い浮かびました。亡くなるまで、シベリア抑留体験をテーマにした絵を描き続けた山口県の画家です。 彼の絵は非常にシンプルで、深い黒の中に、抽象的ともいえるモチーフが浮かび上がる様式が多いのですが、実際にみてみると、色の鮮やかさと、モチーフの強さが迫ってきます。連なるシベリアの絵を見てまわったとき、一人の人間が、生涯こんな地獄の記憶を背負って生きていかねばならないのかと、大きな恐怖に襲われました。戦争を生き残った人の終わらない苦しみ。今でも、彼の描いた死人の顔や炎がごうごうと浮かび上がってきます。 石原氏も一度だけシベリア・シリーズを見に行き、印象をこう書き残しているそうです。 「ほとんど黒一色にぬりつぶされ、忍苦そのものと化したかにみえる無数の表情。だが私は、これらの表情へ盛上げ、抑えつけた絵の具の層の下に、望郷のねがいそのもののような緑とばら色のイメージをありありと看取できた。」 戦後、香月氏は「私の地球」と呼ぶ故郷三隅町と、家族をこよなく愛し、身近なモチーフを描き続けています。限りなく穏やかな暮らしの中に、隠しきれないシベリアの記憶が噴出し、生涯描かざるをえなかった画家。 石原氏は、戦後の日本社会に馴染めず、故郷とも絶縁し、もがくほど、封印してきたシベリアの記憶へと立ち戻っていきます。シベリア帰りというだけで受けてきた数々の差別。強制収容所では人を蹴落としていかねば生き延びられない…戦争が終わったはずの日本においても、電車に乗りこむにも仕事をするにも他人を押しのける構図を目にして、石原氏は深く傷つきます。誰とも共有できぬ感情…。「虚の顔」と形容された表情。激しく屈折した内面が、詩となり文章となり発表されていきました。 彼の孤独・絶望に強くひかれます。今年はゆっくりと著作を読み、言葉に出会いたいです。 香月泰男 「青い太陽」 シベリア・シリーズの一枚 |
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2008 01,07 18:07 |
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去年から楽しみにしている新聞連載があります。
「石原吉郎 沈黙の言葉 シベリア抑留者たちの戦後」 詩人、石原吉郎。この連載にて初めて知りました。8年間のシベリア抑留後日本へ戻り、戦後の混乱を生きた詩人。彼の軌跡を丁寧にたどるシリーズです。 何故彼にひかれたかといいますと、連載開始時に目にしたこの言葉からです。 「人間とは加害者であることにおいて人間である」 石原氏のエッセイの言葉です。彼は、自分がシベリアから生きて帰ってきたこと自体に加害性を感じていた─と紹介されていました。 この一言は、今までくすぶっていた自分の過去の感情を、余すことなく表してくれていました。進んで加害者となることは、許されることではありません。しかし、生きていくうえで、自分の存在自体が加害者となりうること、常に誰かにとって加害者の立場をとっている可能性があること…巧妙に隠された現実を知らないで生きていければ悩むこともないでしょう。踏み込んで知ることによって、自分の足場が揺らぐ現実などたくさんあります。善悪では区切れない、加害者と被害者という結果があります。その割り切れない感情を、すくい上げられました。嬉しかったです。 年をはさんでまだまだ続く連載の内容も、折を見て紹介していきたいです。 |
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2007 07,15 17:02 |
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「高銀詩選集 いま、君に詩が来たのか」 藤原書店
憧れの韓国の詩人、高銀(コ ウン)氏の翻訳詩集が出版されました。久しぶりに本にときめいています。 高銀氏の人生は、激動する母国を映し出すかのよう。朝鮮戦争の体験による精神衰弱と自殺未遂。放蕩生活。出家と還俗。投獄・拷問を受けながらも民主化と南北統一の社会運動に身を投じ続けてきました。この選詩集は、彼が今まで出してきた130余の著書から抜粋した詩と、文章が載っています。 夜中の授乳の合間、傍らで眠る子どもの存在を確かめながら、高銀氏の強大な宇宙、破裂する言葉にひたっています。 「ペンは剣よりも強し」 人を殺める爆弾よりも、平和を心に望ませる詩の爆弾のほうが、ずっとずっと強い。 休戦線のあたりで 北韓の女人よ 私がコレラとして そなたの肉の中に入って そなたとともに死んで 一つの墓に入って 我が国の土になろう 自分にはひとりの時間が必要。 この本もまた、何度も何度も帰ってくる場所となりそうです。 乞食 いっさいを略してしまったこの単純を むやみに憐れまないでください 言葉も家も要らないこの単純を ちぇっ 舌打ちしないでください そのようにして 宿命でも革命でも乞食を定義しないでください 今は学ぶ所がありません おしゃべりな時代 乞食からもう一度言葉を学んでください いや 乞食から死を学んでください |
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