2024 04,30 05:01 |
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2009 06,21 11:08 |
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6月。娘が誕生日を迎えたり、ケアマネの仕事も急激に忙しくなったり、書きたいことはたくさんあるけれども、今日は一つだけ。
以前より興味津々だったサンドアートを観てきました。 石田恵美さんという、砂を使った作品を作り続けている方がいます。 高橋節郎美術館(これがまた居心地の良い建築でして)の南の蔵にて開催していた二人展へ行ってきました。 砂のアート?と興味をもたれた方は こちら をどうぞ 初めて出会う作品。そして初めてお会いした石田さん。なのに昔からもうその美しさを知っていたかのようにストンと入ってきました。無条件に、好きという世界。 石田さんと石や砂や自然や旅について話ましたが、前置きなしで、何もかも率直に言葉を伝えられる嬉しさ。話したいことが尽きない。こんなわくわくする出会いは久しぶり。 わたしは、こんなに石や砂について語りたいことがいっぱいあったのね! 石田さんが創りだす砂鉄の世界。 以前観たテレビ番組で、砂時計の中で一番正確なのは、砂鉄だと紹介されていました。砂鉄で砂時計を作り続ける職人の姿に感動し、早速愛用していました。長い引越し人生において、その砂時計を失くしてしまったことが悔やまれます。あの灰色の砂の流れ落ちる美しさ。 自然の美しさには、常にひれ伏したくなります。 PR |
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2008 12,01 02:21 |
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しばらくパソコンを開けませんでした。時間がないとも言えるし、心が開かない、とも言えます。仕事上のことで腹が立ったり、張り切って働けない自分を嫌悪したり…。先のことを考えても結論は出ない。
とりあえず、家のことも外のことも最低限はしてきたし、厄年を無事に乗り切れたことだけでも有難いかも…と、ぐだぐだ思っていたら今年も終わりそうです。 先日、出産後初めてひとりで遠出。東京・上野でのフェルメール展を観てきました。朝一番にして行列。絵の前も行列。疲れましたが、7点もの作品を観れたことは嬉しかったです。光の描写の評判を聞くけれども、全体的に絵が放つものが暗かったように感じました。(展示方法やら、出品作品の系統もあると思いますが) 帰りに渋谷駅の岡本太郎の壁画を見ました。以前見たときは会場の制限があったので、また違って見えました。設置場所としてどうかな?と思っていましたが、渋谷駅は大正解。広い空間で、自由に眺められる最高の場所です。壁画の赤が本当に美しくて、充電できました。 母でもなく、妻でもなく、一人の女である時間。ゆっくりランチなどをいただき、自ずと余裕が生まれたような…。 時間もあるのだから、東京の街をぶらぶらしようかと思っても、今の自分には買い物する気持ちも無い。ちゃんと身の丈に合った暮らし、になっているから不思議。家族への、甘いお土産だけ買って帰りました。 |
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2007 09,28 21:14 |
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日本列島 老いの風景 「また、あした」 山本宗補(やまもとむねすけ)写真展
信州出身のフォトジャーナリストの山本さん。アジアを主なフィールドとするなかで、国内の「老い」をテーマに写真を撮り始めて7年。松本市美術館にて開かれた個展を見てきました。 会場には、北海道から沖縄まで、70歳前後から100歳までの人々の写真と豊富な言葉が並んでいました。特に圧巻だったのは、丁寧に掘り出された個人の戦争の記憶。沖縄戦での一般市民を巻き込んだ惨状、東南アジアのジャングルでの鬼畜行為、戦時中のハンセン氏病者への冷遇…。殺しあう戦場だけではなく、狂気にとりつかれた環境や病による無残な死、子を殺さねばならない親…誰一人逃れることなく過酷な体験をされています。死んだ者も、生き残って死者の姿を一生背負っていくこともどんなに苦しいことか。写真の表情は重く、反戦を力強く訴える言葉が吐き出されていました。どれもこれも貴重な言葉です。 会場にて購入した山本さんの著作 「また、あした」 にこんな言葉がのっていました。 老いゆくプロセスは死への助走(序奏といってもよい)である。そのとき、人の誕生のときに助産婦が必要なように、老いから死へ向かう陣痛ともいえる時間に寄り添う人の力が、必要なのだ。それを「助死婦」と呼ぶ人もいた。それらの物語は、一時流行った「老人力」なるレトリックに粉飾されたものではなく、家族力、地域力ともいうべきものが回復されるべき時代であることを私に予想させた。 須田治著「こんな死に方してみたい─幸せな最期を迎えるために」より (須田治さんは、山本さんが阪神淡路大震災のボランティア活動中に出会ったジャーナリスト。須田さんの文章と山本さんの写真という組み合わせで「老いの風景」という新聞連載が始まったそうですが、3年前に須田さんが急逝。現在は山本さんがひとりで続けられています。) 自分が実際に出産と育児を経験してみて、なんと介護と育児は共通点が多いかと驚かされます。人の手が必要なこと、命を信じること、まるごと向かい合うこと。介護の仕事はつらいことが多かったけれども、老いを迎えた人々がさらけ出してきてくれたことが、揺るがない芯のようなものを与えてくれたような気がしてなりません。 それにしても、こんなに多くの苦しみを経てきたのに、お年寄りの眼差しや表情は限りなく穏やかで優しい。小さく丸まって、海に感謝の祈りを捧げる漁師や、アイヌの長老のうつくしい瞳。険しさの中にも、ずっと見ていたい姿が並びます。 会場にて山本さんとお会いし、フィリピンを毎年訪れていると知りました。山本さんが撮り続けている先住民族のアエタ族。学生時代、フィリピンで同じくアエタ族との出会いで衝撃を受け、結果的には老いと向き合う仕事へ進んだ自分としては、不思議な縁を感じました。 (山本さんのホームページは こちら ) 短い時間でも、濃厚な場の力を浴びます。写真の向こうの方にも、会場で出会った方々にも、感謝の気持ちが湧き上がる出会いでした。 |
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2007 08,29 23:48 |
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昨晩28日は満月、そして皆既月食が見られました。月食は太陽、地球、月が一直線に並び、地球によって太陽の光を遮られた月が、一時的に消えて見える現象です。光を失い、ぼんやりと赤い姿の月。暗やみより小さな光が広がって満月へと戻っていく様は、想像よりはるかに神秘的で、心が高鳴る景色でした。月を眺めていたら、夜空を横切る大きな流れ星も。ちなみに、流れ星って、宇宙の塵なんかが地球の大気圏に突入して燃える現象なんだとか。てっきり星が流れているものだと思い込んでいたので、この事実はショック。
昼間は、地元のギャラリーで開催されている「岡本太郎写真展Ⅰ─沖縄・石垣島・宮古島─」を見に行きました。 写真集で岡本太郎が撮った写真を見る機会はありましたが、生の写真を見るのは初めて。写真に添えられた文章も豊富で、岡本太郎が魅せられたという沖縄の風土をじっくりと味わえました。主に島の聖域や伝統的なお祭り、女性を写した作品が並んでおり、もう現代では見られない濃密な世界─見てはならないタブーの場所、空間、姿がそこには感じられます。「島は不潔である。純潔ゆえに不潔である」と岡本氏が賞賛したとおり、清潔で何もかも整った現代では決して出会えないだろう眼差しと風景。唯一残る風葬の場所に積み上げられた人骨。捧げられた動物。神となった女性たち…。久しぶりにぞっとする時間を持てました。美しいとか、癒されるとか、そんな言葉は一切浮かぶことなく、もっと腹の底から人をぞっとさせられる岡本氏の芸術。出会う度に、新しい。やはり、天才。 以前旅をした奄美大島の老婆が、まるで怪物を見るように、怨念をこめて自分を射抜いた眼差し。フィリピンの先住民族の、飢えたこどもが向けた眼差し。自分は他者であり、侵入者であり、どうしようもない敵とも受け止められる存在なんだと教えてくれた数々の力強い「目」を思い出しました。違うということで、やっと客観視できる部分があります。知れば知るほど、もっと謙虚に生きなければという戒めとなります。 |
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2007 05,18 05:56 |
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諏訪湖畔にあるハーモ美術館にて開催中の「田中一村展」へ行ってきました。
絵葉書。以前は売り切れで手に入らなかった。 6年前、奄美大島に田中一村記念美術館ができたとき、早速訪れました。 新聞の小さな記事に、一村の絵の感想が書かれており、その短い言葉を頼りに、奄美へ渡った記憶があります。 幼少の頃より絵の才能が開花し、「神童」とも呼ばれた一村。美術学校を入学後すぐに退学。中央画壇との決別。千葉の田舎でひっそりと自分の絵の支持者のためだけに描きつづける。 晩年、旅を通して出会った南国の風景に心を奪われ、50歳で奄美に移り住む。生計のために肉体労働をし、お金が貯まったらひたすら絵を描くという暮らし。誰に看取られることなく、69歳でひっそりと生涯を閉じる。 淫蕩に身を持ち崩した親を見て育ったためか、生涯なんら欲を求めることなく、ひたすら自分の絵を求めて描きつづけた一村。奄美へ渡るまでの絵は、抑制された空間と厳しいまでの描写、張り詰める魂を感じます。 晩年、南国の風景を通した一村の絵は、眠っていた彼の色気を昇華させ、完璧なまでの描写と妖艶さが一体となっているようです。 奄美で初めて彼の絵と向き合った時、本当に絵の中の魂に圧倒されたとしか言いようがありませんでした。 没後高い評価を得ている一村ですが、彼のファンのことを「一村病」とも呼ぶそうです。絵に対する熱も勿論、その壮絶な生き方に取り込まれてしまう人々という意味を込めて。 生涯病と貧しい暮らしが続き、身内にも自らの絵のために犠牲を強いる。気性の激しさから社会とも上手に折り合いがつかず、画家としても無名のままに亡くなる─。 「絵の中の魂は永遠に生き続けるのです。私の名前は誰も知らなくていい─。」 一村の言葉。 貴方の絵は永遠に生き続けるでしょう。その魂とともに。 |
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