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2007 09,28 21:14 |
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日本列島 老いの風景 「また、あした」 山本宗補(やまもとむねすけ)写真展
信州出身のフォトジャーナリストの山本さん。アジアを主なフィールドとするなかで、国内の「老い」をテーマに写真を撮り始めて7年。松本市美術館にて開かれた個展を見てきました。 会場には、北海道から沖縄まで、70歳前後から100歳までの人々の写真と豊富な言葉が並んでいました。特に圧巻だったのは、丁寧に掘り出された個人の戦争の記憶。沖縄戦での一般市民を巻き込んだ惨状、東南アジアのジャングルでの鬼畜行為、戦時中のハンセン氏病者への冷遇…。殺しあう戦場だけではなく、狂気にとりつかれた環境や病による無残な死、子を殺さねばならない親…誰一人逃れることなく過酷な体験をされています。死んだ者も、生き残って死者の姿を一生背負っていくこともどんなに苦しいことか。写真の表情は重く、反戦を力強く訴える言葉が吐き出されていました。どれもこれも貴重な言葉です。 会場にて購入した山本さんの著作 「また、あした」 にこんな言葉がのっていました。 老いゆくプロセスは死への助走(序奏といってもよい)である。そのとき、人の誕生のときに助産婦が必要なように、老いから死へ向かう陣痛ともいえる時間に寄り添う人の力が、必要なのだ。それを「助死婦」と呼ぶ人もいた。それらの物語は、一時流行った「老人力」なるレトリックに粉飾されたものではなく、家族力、地域力ともいうべきものが回復されるべき時代であることを私に予想させた。 須田治著「こんな死に方してみたい─幸せな最期を迎えるために」より (須田治さんは、山本さんが阪神淡路大震災のボランティア活動中に出会ったジャーナリスト。須田さんの文章と山本さんの写真という組み合わせで「老いの風景」という新聞連載が始まったそうですが、3年前に須田さんが急逝。現在は山本さんがひとりで続けられています。) 自分が実際に出産と育児を経験してみて、なんと介護と育児は共通点が多いかと驚かされます。人の手が必要なこと、命を信じること、まるごと向かい合うこと。介護の仕事はつらいことが多かったけれども、老いを迎えた人々がさらけ出してきてくれたことが、揺るがない芯のようなものを与えてくれたような気がしてなりません。 それにしても、こんなに多くの苦しみを経てきたのに、お年寄りの眼差しや表情は限りなく穏やかで優しい。小さく丸まって、海に感謝の祈りを捧げる漁師や、アイヌの長老のうつくしい瞳。険しさの中にも、ずっと見ていたい姿が並びます。 会場にて山本さんとお会いし、フィリピンを毎年訪れていると知りました。山本さんが撮り続けている先住民族のアエタ族。学生時代、フィリピンで同じくアエタ族との出会いで衝撃を受け、結果的には老いと向き合う仕事へ進んだ自分としては、不思議な縁を感じました。 (山本さんのホームページは こちら ) 短い時間でも、濃厚な場の力を浴びます。写真の向こうの方にも、会場で出会った方々にも、感謝の気持ちが湧き上がる出会いでした。 PR |
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